なぜ今、縄文が注目されるのか?
最近、色々なところで「縄文」という言葉を聞くようになりました。縄文をテーマとした展示も増えてきているように感じます。
また、最近「弥生人そっくりさんコンテスト」で受賞した男性も話題になりましたね。
スピリチュアル界隈では以前より「古代の日本」に対するテーマは多く扱われてきました。スピリチュアルといえば古代の叡智、古代の日本、と言ってもいいくらいですね。
それが最近特に、ブームになってきっているように感じます。
ニュースでは連日、ロシアによるウクライナ侵攻が報道されていますが、同時に縄文ブームもやってきていると感じます。
縄文時代には、戦争がなかった
縄文時代は1万年以上続いたと言われていますが、その大きな特徴が、戦争がなかった、ということです。戦争の痕跡が見つからないんですね。大抵の文明の痕跡では争いの痕跡が見られるのに対し、 縄文時代の遺跡では、争いの痕跡は見つからないそうです。これはとても不思議なことです。
もともと縄文人=日本人には戦争の概念がなかったということです。これが縄文時代について注目が集まる理由の1つとなっています。
縄文時代は女性性
今の社会が男性優位の男性性が強い社会であるのに対して、縄文時代は 女性性が強い社会であったと言われています。ゆえに、戦争も起こらなかったようなんですね。戦争を持ち込んだのは弥生人であると言われています。
稲作が始まり、戦争が始まった
縄文時代は主に狩りをして食事を行っていたため、人と人との争いは起こらなかったようです。弥生人が日本にやってきて稲作を伝えました。稲作が始まると、自分の土地を確保する必要が出てきます。お米の土地という財産を守る必要が出てきます。そこから争いと言う概念が始まったようです。
たまに縄文のイメージとして狩をする野蛮な原始人的なイメージを持つ人がいますが、確かに縄文人は狩をしましたが、故に人と人が争うことはなかったのです。神に感謝して動物や海の生き物をいただき、祀った痕跡が残っているのです。貝塚は、ゴミ箱ではなく貝を祀ったという説も強くあります。
弥生文化=悪?
よく縄文と弥生は比較され、縄文時代は平和な時代であり、弥生時代は野蛮な時代であると言われがちなのですが、日本のスピリチュアリティーを語る上では、日本人にとってのお米と言うのはとても大きな意味を持ちます。日本人の霊性の基盤がお米であるとされているのです。
お米を持ち込んだのは弥生人なのに、悪く言われるのはなんだか奇妙ですね。
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